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ヴァージル・アブロー、そしてカニエ・ウェスト インターネットに拡張したストリートを歩く

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ヴァージル・アブロー、そしてカニエ・ウェスト インターネットに拡張したストリートを歩く

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 ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)が亡くなった。2010年代中盤から急速に頭角を現し、立ち上げた「オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブロー™(OFF-WHITE c/o VIRGIL ABLOH™)」のクリエイティブディレクター、そして「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のメンズ アーティスティックディレクターとして栄華を極める全盛期の最中、41歳でこの世を去った。各国で数々のヴァージルについての評が書かれてきたが、改めて2022年の年初に、2010年代中盤から急速に頭角を現した彼と、彼を取り巻いた現象から今後のヒントになるべきものを考え、改めて評価してみたいと思う。(文:小石祐介)

「アフリカ系」デザイナーというイメージ

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 ヴァージル・アブローについて語られるとき、まず彼が「アフリカ系」デザイナーであること、そして第二に「ストリート」との関係性が挙げられる。

 最初に「アフリカ系」というキーワードについて振り返ってみたい。アフリカ系の黒人デザイナーで、過去にどのような人物が居ただろうか。私にとって、まず思い浮かぶのはオズワルド・ボアテング(Ozwald Boateng)、ジョー・ケイスリー・ヘイフォード(Joe Casely-Hayford)の英国を拠点とするデザイナー、そしてファッションインサイダーに支持されてきた米国のアンドレ・ウォーカー(Andre Walker)の存在だ。

 米国のアンドレ・ウォーカーは80年代から90年代にかけて活躍した。メインストリームには登らなかったが、「メインストリームにいる面々に影響を与えたカルト的存在」である。インタビューで時折、黒人であることを意識したことがない、と本人が語るように、デザインの指向性はその前衛性が目立つ。会って話すと物腰が柔らかく、分け隔てなく話すおおらかでチャーミングな人物だ。

 世代違いのキム・ジョーンズ(Kim Jones)やマーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)といった面々からも支持され、一旦休止していたブランドの活動を「DOVER STREET MARKET NEWYORK」がオープンするタイミングで再開した。2021年2月のオフ-ホワイトとのコラボレーションで彼の名前を覚えている人もいるかもしれない (注1)

(注1) 余談だが、ヴァージルは自身が強い影響を受けた過去のクリエイターをコラボレーションパートナーに選ぶことが多い。彼、そしてカニエ・ウェストが積極的に研究していたNIGOもルイ・ヴィトンでは大きなコラボレーションパートナーとなった。

 英国勢のオズワルド・ボアテングとジョー・ケイスリー・ヘイフォードは、世間がストリートやアヴァンギャルドに湧き上がる中、サヴィル・ロウ由来の伝統に自分自身の背景を加えて再解釈して提案したことで注目を浴びたデザイナーだ。ケイスリー・ヘイフォードは英国のBlack Elite(アフリカ系の名士)の家系で、親族に政治家やアカデミアに錚々たる面々が居る。彼自身がもともと表舞台で活躍する白人デザイナーより、むしろ英国の伝統的趣向に近い属性のデザイナーだった。

 外せないのがアフリカニズムを英国の伝統とミックスしたオズワルド・ボアテングだ。彼は2000年代で最も重要なアフリカ系デザイナーだった。ヴァージルがルイ・ヴィトンのクリエイティブ・ディレクターに選ばれたとき、アフリカ系からラグジュアリーブランドのクリエイティブ・ディレクターが生まれたと話題になったが、実はボアテングが最初の人物である。LVMH傘下の「GIVENCHY(ジバンシィ)」がメンズウェアのラインを立ち上げたとき、2003年から2007年まで最初のクリエイティブ・ディレクターを務めたのが彼だった。

“Tribal Traditionalism” 2002 by Ozwald Boateng

 デザイナーだけではなく、メディアの領域でもアフリカ系の活躍はゼロではない。ヴォーグでは長年アンドレ・レオン・タリー(André Leon Talley)が活躍していた。

 しかし、アフリカ系の面々がメインストリームの舵取り役に起用されるのは、ヴァージルやカニエ・ウェスト(Kanye West、およびYe)がファッションシーンに登場してからである。2017年にはエドワード・エニンフル(Edward Enninful)がVOGUE UK、そして2021年にはイブラヒム・カマラ(Ibrahim Kamara)がDAZEDの編集長に抜擢されたが、何十年もポップカルチャーとスポーツで活躍するアフリカ系の存在感を考えると、随分と出遅れた感がある。

チーム・カニエ・ウェストの影響力

 ヴァージルはカニエのチームとして働き始めたことで、ファッションシーンに登場する。2002年頃に始まったと言われるカニエとの関係は20年近くにわたる。

 カニエは既に著名人だったが、もともとファッションに強い関心を持っていた。2004年にはオリジナルブランド「パステル(Pastelle)」を立ち上げるためチームを集め、ヴァージルをはじめそこに集った面々はその後のファッション界で強い影響力を持つこととなる (注2)

 (注2) ヴァージルをもちろんのこと、CMMN SWDNを設立するエマ・ヘドルンド(Emma Hedlund) とセイフ・バキール(Saif Baker)、アドバイザーにキム・ジョーンズ、ロゴデザインにKAWSが関わるなど、振り返ると豪華な面々が集ったプロジェクトだった。
https://hypebeast.com/jp/2018/7/kanye-west-pastelle-clothing-line-untold-story

 カニエには様々な逸話があるが、有名なのはラフ・シモンズ(Raf Simons)に直接インターンを申し込み断られ、またセントラル・セント・マーチンズに入学を申し込み拒否されたといった話だろう。有名であろうと学校や丁稚奉公で学ぼうとするあたりが、他のセレブリティと異なり彼の面白いところだが、2009年にヴァージルとともに「フェンディ(FENDI)」でインターンを始めたことが、2010年以降のファッションシーンを大きく変える転機になった。このイタリアでのインターンシップはヴァージルがイタリアでオフ-ホワイトを設立するきっかけともなる。

 その後、カニエの影響下で数々のデザイナーが頭角を現した。ヴァージルの他に、「1017 ALYX 9SM(アリクス)」の創業者でありジバンシィのクリエイティブ・ディレクターを務めるマシュー・M・ウィリアムズ(Matthew M. Williams)、「カルバン・クライン(Calvin Klein)」とコラボレーションしたヘロン・プレストン(Heron Preston)、そして今後ビッグメゾンのディレクターに就任するのではないかと目されている「フィア オブ ゴッド(Fear of God)」のジェリー・ロレンゾ(Jerry Lorenzo)などがいる。

 元ビッグメゾンのデザイナーがブランドを立ち上げると話題になりがちだが、元チーム・カニエ・ウェストの破壊力はそれとは比べ物にならない。今では、チーム自体がメゾンのような存在となっている。

大衆に直接メッセージを発するクリエイター

 ヴァージルらの特徴は大衆に直接メッセージを発するクリエイションにある。2010年頃までのファッションについては以前連載で言及した。

 2010年以前とそれ以降の大きな違いはインスタグラムの存在だ。2010年10月に誕生したインスタグラムは、その年の12月時点でユーザー数が100万人だったが、オフ-ホワイトが誕生した2012年には50倍の5000万人のユーザーに達し、トランプ政権誕生の2016年には6億人という世界人口の10%弱が使うプラットフォームになった (注3)

(注3)上のグラフは、インスタグラムのユーザー数の増加の様子。世界人口の10%が使うようになったのが2016年だ。ファッション関係者は2012-2013年頃から使い始めていた。セレブリティの影響力が復権したのもインスタグラムが理由であり、アメリカ大統領選挙の結果、カウンターカルチャー、ストリートは大ブームとなる 。これは以前の連載でも言及した。
引用)https://infogram.com/instagram-monthly-app-users-1h7j4dvd3ooyv4n

 インスタグラムが生まれる前、ブランドがバイヤーや消費者へ直接メッセージを届けることは今よりも困難だった。声を届けるには雑誌の誌面に掲載、トラフィックのあるウェブサイトに掲載されるか、自発的に広告を出稿するしかない。声の届き方は、業界の評判によって強く影響を受けるため、それを左右するインナーサークルのフィクサーが中央集権的な権力を持っていた。

 そのため、コレクションやプロダクトのデザインはメディアや玄人受けするギミックが重要視されることが多かった。しかし、どれだけ批評家や編集者に好かれ、業界内の知名度があっても商業的成功は保証されるわけではない。業界人に好かれる一方で、消えたブランドやデザイナーは数多い(かつてのアンドレ・ウォーカーもその一人だろう)。業界での評判は成功の必要条件であっても十分条件ではなかった。

 批評家は顧客であるとは限らない。この状況はインスタグラムによって明らかな変化を遂げた。個人の影響力がメディアの影響力を超越する現象が起こり、この社会の波に乗って攻勢をとったのがカニエであり、そのチームのヴァージルを代表とする新しいクリエイター達だった。

 彼らのメッセージは実際にモノを購入する消費者を引きつける。”Defining the grey area between black and white as the color off-white”というのはオフホワイトのレーベルに書かれたコンセプトだが (注4) 、意図することが強く明快であり、ファッションに初めて接するような人にも容易に触れやすい気軽さがある。

 (注4) 最初はPyrex Visionという名前からプロジェクトを始め、最終的にオフ-ホワイトになった。

 トランプ政権誕生後、マイノリティやジェンダー問題がクローズアップされたのもシンクロした。乱世になればなるほど大衆にシンプルなメッセージを直接届けられるクリエイターは強い。

 一方、だからこそヴァージルのクリエイションは業界の中でいつも賛否両論を引き起こした。実際、彼には相当数のアンチが存在する。ファッション業界の玄人から見れば、彼のクリエイションと言われるものは、他ブランドの過去のアーカイヴを単に再生産しているだけではないかという批判がある。本人はHIPHOPと同じリミックスと言い切っている部分もあるのだが (注5)

(注5) 余談だが、カニエ・ウェストはファッションをStyle.comとThe Sartolialistといったブログなどのネットサーフィン、そして実際商品を買って見ることで研究したとインタビューで語っている。メンズウェア、特にラフ・シモンズやヘルムート・ラングのアーカイヴはカニエらが着用しだしてから高騰しはじめ、アーカイヴを研究して文脈を考えることは現在のファッションデザインにおいて重要なものとなっている。そして、彼らは日本の裏原宿のカルチャーについてもより深く研究していた。実際多くの手法や考え方はNIGO氏から強い影響を受けている。
“Luckily, I was rich enough to make mistakes and learn by like just being a fashion victim — which I definitely have been a fashion victim — and to flip it from fashion victim to maybe a fashion icon,” https://www.marieclaire.co.uk/news/celebrity-news/kanye-west-is-too-famous-to-study-at-st-martins-109608

 しかし、皮肉なことに賛否両論で炎上してもその度にファンを獲得するのが「今の時代」。ヴァージルはファッションの玄人よりも、大衆に向けて声を発して地位を築いたクリエイターなのである。直接声が届けられるデザイナー、これはブランドとその資本家にとって最も重要な「売上と利益」を生み出す人材だ。

 パンデミックの最中、ルイ・ヴィトンはコンテナを運び、米国と対立している中国の上海の港でショーを行った。他のファッションブランドではありえないほどの予算をかけたショーだったが、資本を使いきってリターンを生み出すというのは、いかにも現代のアメリカ、そしてポストインスタグラムのデザイナーという姿に見える。彼(そしてカニエ)をファッションの文脈で最も評価するべき点は、自身と周囲の影響力を利用して、複雑になっていたファッションのゲームをシンプル化したところにある。

   Pastelle撤退のあと、カニエは、2010年に「DW Kanye West」という名前でコレクションを発表したが、コレクションはメディアに酷評された上、商業的成功を収めなかった。しかし、その後のYeezyでの成功は周知の通りだ。コレクションの発表のタイミングが、ポストインスタグラム、そしてマイノリティへの注目が集まったトランプ政権誕生直前の2015年あたりであれば結果は全く異なり、大きな成功を収めたかもしれない (注6)

(注6) DW Kanye Westに関するニュース: The Gurdian UK https://www.theguardian.com/fashion/gallery/2011/oct/02/kanye-west-paris-fashion-week

ステレオタイプに抗う

 ヴァージルとオフ-ホワイトのブランド名を目にすれば、すぐ話題になるのがストリートとの関係性だ。アフリカ系とストリートウェア、と耳にするとストリートキッズがアメリカンドリームを成り上がっていく姿がすぐに思い浮かぶかもしれない。もちろん彼もそのイメージを上手く活かしているところもあるのだが、実際の所、この単純なイメージ連想こそがヴァージルとカニエ達が戦っていた社会の病理である。

 ヴァージルは10代の時からクラブシーンに出入りしていた。それだけ聞くとストリートキッズに思えるが、それはイメージの断片に過ぎない。彼はイリノイ工科大学の大学院で建築と土木工学を学んだ。かつての白人たちと同様以上に高等教育を受けたこの人物像は、いわゆる「ストリート」のイメージではない (注7)

(注7) イリノイ工科大学はレム・コールハースの建てた校舎があることで有名だが、もともとナチスを逃れたモホリ=ナジ・ラースローがニューバウハウス(The New Bauhaus of Chicago)を作ったことで有名なデザインや建築においての名門校だ。建築のノーベル賞と言われる、プリツカー賞を設立したハイアットグループのオーナー一族が通う大学として知られている。

 そして彼が学生時代に出会ったカニエ自身も、いわゆるステレオタイプなストリート育ちではない。彼はシカゴのThe American Academy of Artでペインティングを学び、美術教育を受けている。母親は大学教員であり、母の仕事に伴い中国の南京で暮らしていたエピソードもある。

 アフリカ系の音楽家というと、カニエがリスペクトしていると公言するマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)のようなショービズ界の叩き上げや、ギャングスタ・ラップの面々のように犯罪とスレスレの「ストリート育ち」を思い浮かべるが、この二人を語る時、従来のステレオタイプなアフリカ系アメリカ人のクリエイター像とは異なる社会背景から生まれた面々であることを忘れると、二人の関心の幅広さの源泉を見落としてしまう。

 人種に対するステレオタイプなタグ付けは根深い。アジア系や日系がアメリカの映画やドラマに登場するとき、空手、忍者、芸者、鮨、着物といったキーワードがすぐに関連付けられる。米国のファッション誌で、時々ステレオタイプな誤った日本像に拍車をかけるようなヴィジュアルが炎上するシーンを目にする。

 しかし、アフリカ系はこれ以上にアメリカ国内で更に長い間、強い偏見を受けてきた。ハリウッド映画でアフリカ系の俳優が担った役割は、悪役だと組織的なギャングや破天荒な犯罪者であり、白人俳優が担うことの多いスパイや知能犯といったキャラクターで登場することは少なかった。高等教育を受けた起業家、作家やウォール街で活躍する金融の専門家として登場するよりは、ラッパー、ジャズマンやバスケットボールのアスリート、あるいは軍人といった叩き上げのイメージで登場することが少なくない (注8)

 ヴァージルやカニエがアフリカ系として捉えられるとき、そこで話題になるクリエイションは「与えられた役割」に対する反抗なのである (注9)

(注8) 2020年、大統領選挙キャンペーン中の最中、黒人男性のジョージ・フロイドが警官の暴力によって死亡し、それをきっかけにBLMがニュースのヘッドラインを埋め尽くした。その時、日本のNHKで放映されたある動画が炎上した。それは筋骨隆々のタンクトップ姿のいかにも「ストリート育ち」といった様子の黒人男性、ジャズマン、ジェームズ・ブラウンのような姿のファンク男性がデモのプラカードを持って叫ぶアニメーションだった。ハフィントン・ポストに当時の記録が残っている。https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5ee0a01bc5b6faafc92b76de

“Figures of Speech”展の”YOU’RE OBVIOUSLY IN THE WRONG PLACE”は、ヴァージルの活動のメッセージが凝縮されている。

インターネットに拡張したストリート マイノリティの可能性

 20年以上前、アフリカ系のクリエイターがファッションにアプローチするとき、外部から彼らに求められた役割は現代のエスニックとしてのアフリカニズムの提示だった。そして多くのクリエイターには「アウトサイダー」や、「古いストリートキッド(ワル)」であってほしいというステレオタイプな眼差しが向けられた。

 ヴァージルとカニエは、ファッションを通して知的反抗を試み、その結果、かつてマイケル・ジャクソンが音楽とエンターテインメントの領域に居場所を作り出したように、白人の富裕層が占めていたファッションの中心に新しい居場所を生み出したのだった。彼らが話す「ストリート」は都市のバックストリートを超えて、人種や国境を超えたインターネットの上に拡張された自由な領域のことだった。

 時々、「日本人であることを意識したことがない」という日本人クリエイターの発言を目にすることがある。それが本音かどうかは定かではない。ただ、当の本人がそのつもりでも世界の大衆が、その人のことを日本人、あるいはアジア系として見なしてしまうことは避けられない。あらゆる領域でアジア系のクリエイターは、数少ない例外を別にすれば、かつてアフリカ系がそうであったのと同様に神秘性やオリエンタリズムを提供する役割を求められてきた。そして、その役割を期待以上に応じることで成功してきたのが事実だ。

 2010年以後、ヴァージルとカニエ達の作り出した新しい流れはアジアにいる我々にとっても他人事ではないのだ。彼らは社会が荒れ、そこに新しい流れが起きるとき、求められる役割とは「別の新しい役割」で変化を生み出せることをファッションを通して実証した。社会の空気に敏感であり続けることは、日本にいるデザイナーやブランドオーナーだけでなく、ファッションに関わる全てのプレイヤーにとって重要だろう。

 新しい「別の居場所」、そして望む「別の役割」の仕事を作る、そのチャンスが訪れるタイミングを見逃してはならない。

株式会社クラインシュタイン代表

小石祐介

Yusuke Koishi

東京大学工学部卒業後、コムデギャルソンを経て、2014年に小石祐介と小石ミキによってクラインシュタインを設立。「NOVESTA(ノヴェスタ)」、「BIÉDE(ビエダ)」をはじめ、国内外のブランドのプロデュースやコンサルティングを行っている。2020年7月には、COMME des GARÇONS HOMME PLUSの2021年春夏コレクションにて、ブラジルのアーティストAlberto Bitarの作品を使用した映像の企画を行った。また、現代アートとファッションをつなぐプロジェクト、アーティストとしての創作、評論・執筆活動を行っている。

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